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初めまして、makixico(マキヒコ)と申します。ぼくのプロフィールに関心を持っていただきありがとうございます。このページではぼく自身のことについて自己紹介させていただければと思います。少し長くなりますが、お付き合い頂けると嬉しいです。

管理人makixicoについて

1990年広島県府中市生まれ。今はメキシコのアグアスカリエンテスという街で暮らしています。

 田舎暮らしだったので、遊びといえば田んぼや山での鬼ごっこやかくれんぼ、公園での草野球。ボール遊びができない公園が増えているというニュースを見るたびに懐かしく思い出しながら、少し寂しい気持ちになったりしています。

 小学校では野球部に所属、通算打率はかなり悪かったですが、当たれば飛ぶパワーヒッターの一塁手としてスタメン出場していました。普通の送球よりもショートバウンドとかの悪送球を取る方が得意だった気がします。

斜に構えていた中学時代

 公立小学校から公立中学、公立高校と進学したのですが、将来やりたいことも特になく、漫然とした生活をしながらもいろんなことに取り組んできました。

 中学校ではソフトテニス部に入部するも、先輩との上下関係が嫌で1年で退部、同級生しかいなかったワンダーフォーゲル部に入部しました。(ほぼ幽霊部員でしたが)通常活動は筋トレと街の清掃活動、ゴミ袋を持って河川敷を歩いていました。

夏休み1ヶ月前くらいからエアコンの効いた涼しい部屋でキャンプ先を決めたり、しおりを作ったりといった準備を始め、普段ほぼ使い道のない部費を使ってみんなで行くキャンプが唯一の楽しみでした。野鳥の声で目覚め、みんなで魚を釣って、地元の人にもらった猪肉を飯盒で炊いたご飯と一緒に食べて…控えめに言っても最高でした。

 空を見るのが好きで、天気予報に興味を持ち、気象予報士になりたいと言っていたこともありました。ちなみに今でもたまに気象予報士の資格を取ろうかと思っては難易度の高さに先延ばしにし続けています。

 一緒に住んでいたばあちゃんの畑仕事を手伝いながら、どちらがより大きな野菜や綺麗な花を咲かせられるか対決をしたこともありました。牧場物語めっちゃ好きだったなぁ。今はあつ森にプチハマりしています。

 ゴルフに興味を持ち、実家に置いてあった父親のゴルフクラブを持って家の庭や近所の駐車場で素振りをしていたこともありました。(ちなみにグリップの握り方は近所のおじさんに教えてもらいました。)

 勉強はそれなりに得意で、あまり根を詰めて勉強したことはなくてもテストではいい点が取れていたので少し斜に構えていたと思います。

人生を変えた高校での生徒会活動

 そんな感じで漫然と過ごしていた中学校生活が終わり、地元の(自称)進学校へ入学しました。選んだ理由は家から近くて登下校に坂道がなかったからです。部活動もやらず、将来やりたいこともまだ見つからず、週に3日くらい塾に行っていたくらいで、何をしていたかよく覚えていないほど何もない日々を過ごしていました。

 高校2年生の頃、ひとつの転機が訪れました。1年の頃の担任の先生から生徒会活動へ誘われ、半ば強制的に入会しました。そこで憧れの先輩に出逢います。この先輩との出会いがぼくの人生を大きく変えました。

当時のぼくは理系のクラスに所属していたものの、物理や化学には全くと言っていいほど興味がなく、これまで特に勉強しなくても点が取れていたテストの点数も下がっていました。

その先輩はふわふわした雰囲気を持っていながらも、勉強は抜群にできて、アートや音楽の才能があって、と、ぼくが持っていなかったものを全て持っているような人でした。たまたま生徒会の役職をその人から引き継ぐこととなり、一緒に行動することが増えた中で、自然とその人を慕うようになりました。

 ほぼ時を同じくしてたまたま見ていたテレビでHEROが放送されていて、検事ってカッコいいなぁと思い始めていたこともあり、理系から文系への変更を考え始めます。

担任の先生に相談したところ「カリキュラム的に無理」とか「明確にやりたいことがないなら文系より理系の方がつぶしが効く」などと言われ、この辺りから学校の先生とちょっとギクシャクし始めます。

元々少し天邪鬼なぼく、やめといた方がいいと言われるとそうしたくなるのが性分、文転への決意を固め始めます。

 高校3年になり、生徒会活動も大詰め、ちょうど高校の文化祭が60回を迎えるという節目の年でもあったので、盛大な文化祭となりました。このときのことは今でもよく覚えています。講堂のステージの上から見た全校生徒が盛り上がっている場面、忘れられません。

会計の担当だったので、文化祭が終わってからがむしろ本番、毎日全クラス、全クラブから持って来られる領収書の山と格闘していました。電卓を打つのが早くなりました。

 学業面では、先程書いた先輩のお誘いで夏休みを利用して大学の授業にこっそり忍び込みました。現代社会論の授業でした。現代社会を取り巻くさまざまなトピックについて考察していくという内容の授業でした。この経験で文転するという決意が固まりました。

センター試験(当時の呼び方)まで半年を切っていました。今もそう呼ぶかわかりませんが、数学ⅢCや物理、化学といった理系科目は受験に必要ないということで勉強も全くしないので当然のように赤点となり、追試を受けろと言われ、「受験勉強の邪魔をしないでください」と言い返して、職員室で先生から罵倒され、大揉めになるなど、波乱の日々でした。

この頃は授業中は睡眠時間、塾と自宅で勉強というのがルーティンとなっていたので、そういった態度も先生方の反感を買っていたのだと思います。

第一志望不合格からの浪人生活

そんなこんなで迎えたセンター試験の結果は芳しくなく、2次試験での逆転を狙ったのですが、数学で不得意だった確率の問題が出てしまい、結果はあえなく不合格

親に頼み込んで大阪の駿台で寮に入って浪人することになりました。この1年は本当に忍耐の1年でした。

起床は5時半、8時から20時まで予備校の授業、帰宅後21時までに食事を済ませ、再び勉強…門限は21時半で他の寮生の部屋への訪問は21時までなど、勉強に集中するための様々な制約の中で模試の成績に一喜一憂しながらも、無事に第一志望の大学に合格できました。

バイトとサークル、趣味で忙しかった大学時代

関西の某国立大学の法学部へ進学、国際関係を学びました。よくある大学生の姿さながら勉強はほどほどにバイト、サークル活動、好きなアーティストHi-Fi CAMP(2013年に解散)のライブ参戦に明け暮れていました。

毎週土曜日に所属していた模擬国連というインカレサークルの活動があったので、平日と日曜日はもっぱらバイト、土曜日はサークルという生活を繰り返していました。バイトで貯めたお金を、サークルの夏の関西大会、冬の全日本大会、ライブ遠征費用に充てていました。

47都道府県モールツアー最終会場にてメンバーと

塾講師、家庭教師、コンビニ、居酒屋、模試採点、空港近くの駐車場といろいろなバイトを経験したことで、それぞれの面白さと大変さを実際に体験したことはすごくいい経験だったと思います。

コンビニ店員が一番覚えることが多いし、理不尽に怒られることが多かったですね。みなさん、ちょっと待たされたとか、タバコの銘柄がわからないとかくらいで怒らないであげてください。

就職〜メキシコ駐在

大学の友達に「企業で働いているイメージない」「意識低い系就活生」と言われながらも、人並み(以下)の就活をして、Uターンで地元に帰り、製造業の会社に就職しました。

最初は周りの多くの友達がそうだったように東京や大阪での就職を視野に就活をしていましたが、面接を受けに行くのに満員電車に乗る日々が続くうちに「こんなのを40年以上続けるのは無理だ」と悟り、地元就職へ方向転換しました。

いろいろな企業様から内定をいただきましたが、就職した会社の先輩に言われた「昨日までこの世の中になかったものを生み出せるのが製造業の醍醐味だよ」という言葉に惹かれ、実家から車で3分の所に本社がある会社に就職しました。

1年浪人したので、高校までの幼馴染が先輩だったり、友達のお父さんお母さんがたくさん上司として働いている環境で、働き始めは違和感しかなかったですが、研修が終わってからは、グローバル戦略部という海外拠点と連携した営業活動を行う部署に配属されました。

最初に担当を任せられたのは当時売上先No.1、2を争う大口取引先。当初希望していた部署とは違っていたし、いきなり担当するお客様としては大きすぎたので少し戸惑いましたが、今となってはその環境で働くチャンスを与えてくださったことに感謝しています。

営業マンとしてなんとか仕事を順調にこなせるようになってきた頃、突如メキシコへの駐在を打診されました。今思えば出張ではメキシコも3回くらい行っていましたし、なんとなく駐在も匂わされていましたが、あったとしてももっと先だと思っていたのでびっくりしました。前日まで会社の同期とシンガポールに遊びに行っていたくらいです。

日本人観光客がよくやるやつ

大学で国際関係を学び、模擬国連というサークルで活動していたとはいえ、留学経験はなく、海外で生活するのは初めての経験です。打診されたときの率直な感想としては、楽しみではありながらも不安の方が大きかったと思います。とはいえせっかくのチャンスなので、打診を受け入れ、メキシコへ駐在することとなりました。

いよいよ迎えた渡航日、広島空港まで家族が送ってくれて、いざチェックイン。カウンターで衝撃のお知らせ。「成田空港発のヒューストン便が遅延のため、ヒューストンからアグアスカリエンテスへの乗り継ぎができません。つきましては、ヒューストン便をメキシコシティ便に振り返る対応とさせていただきます。成田空港での乗り継ぎ時間が大変短くなっておりますので、到着後は係員の指示に従ってお乗り換えをお願いします。」

それまでの出張は全てヒューストン経由だったので、メキシコシティでのトランジットは初めて、しかもANAからAeromexicoに乗り継がないといけない。モノレールに乗って移動するというのは噂では聞いていましたが、実際にはやったこともなく…

しかも成田でのトランジット時間は40分。調べる暇もなく成田空港到着後は自分の名前が書かれたボードを持った係員に誘導され、通常ルートを逆走し、手荷物検査や出国審査も優先レーンで対応していただき、汗だくのままなんとかメキシコシティ便に搭乗。

日本との別れを惜しむ暇もありませんでした。いざメキシコシティ到着後は周りの人の様子を見ながら、係員にいろいろ聞いたりしてなんとかアグアスカリエンテスへ到着しました。

メキシコでの生活は快適そのもの。一人暮らしで一軒家に住み、家賃は会社負担、車も会社支給、週に一度清掃に入ってもらっていました。

スペイン語は全くわからないものの、拙い英語でなんとかコミュニケーションを取り、会議は通訳さんに入ってもらうことで、業務には特に支障はありませんでした。

週に一度1時間半のスペイン語レッスンでスペイン語もある程度身についてメキシコライフを謳歌していました。アメリカにもほぼ毎月出張に行き、新しいお客さん、新しい案件を獲得するなど、営業マンとして充実した日々を過ごしていました。

コロナ来襲〜時間と場所の自由を手に入れる

ちょうどメキシコで働き出して1年が経ったタイミングで、コロナが猛威を振るい始めました。メキシコも例外ではなく、すぐにパンデミックへ。

2020年の4月〜5月は約2ヶ月間会社がシャットダウンとなり、駐在員はほぼ在宅勤務、駐在員の帯同家族は日本へ避難帰国となりました。仕事は全てリモート、事務系の業務をする日は下手をすると一日中誰とも喋ることなく過ぎていく日々でしたが、時間と場所の自由を手に入れたような感覚を覚えました。

正確にはコロナのため場所は少し不自由でしたが、少なくとも会社で仕事があろうがなかろうが、業務時間の間はずっと同じ席に座っていたことを考えると自由度が格段に高まりました

通勤がなくなったのも大きく、往復40分かかっていたので、その時間が全て自由に使える時間となりました。スペイン語のレッスン時間を伸ばしてもらい、スペイン語スキルアップに取り組みました

実力試しのために受けたSIELEの試験結果はこちらから。

DIYにハマり、ウェブライターも始める

この頃、DIYにもハマりました。最初はホームセンターで買ってきて組み立てるだけのものを作っていましたが、微妙に好みに合わないものや、少しだけ用途に合わないものはリメイクしたりするようになりました。

日本では簡単に100均とかで手に入るような棚とか小物入れとかがメキシコにはあんまりなくて、どうせ時間はあるし自分で作ろう!と思って始めたDIYが意外と楽しくて。

ウェブライターも始めました。まだまだ未熟なライターですが、何件か発注頂き、細々と執筆しています。2022年3月からは本格的にSEO記事などを学ぶためにウェブタスメディアスクールに入り、勉強しました。

日本帰任の打診〜転職

約2年半の駐在生活を経験した頃、日本への帰任の話が出ました。駐在員である以上、いつかはその日は来るものですが、思ったよりも早くて、まだまだメキシコライフを満喫したい気持ちが強かったので、帰任をお断りすることにしました。

とはいえそこはやはり会社も業務の都合や現地法人の経営コストの問題もあるので「駐在の延長はできない」ということになりました。熟慮の末、退職を決意し、メキシコでの転職活動を始めました。

おかげさまでコロナ禍で駐在員が帰任するケースが多く、現地採用の日本人の枠は結構空いていたようで、求人サイトに登録後、すぐに多くの案内をいただきました。

数社と面接し採用していただき、2022年3月から新しい会社で働き始め、オフィスマネージャーとして人事、総務、経理、会計、購買、営業事務、庶務、安全衛生、ITシステムなど、ハイパーマルチタスク業務に従事しました。しかし、持病の扁桃炎の悪化により手術が必要になったため8月末をもって退職しました。

9月以降は個人事業主として日本で開業届を提出し、フリーランスのWebライター兼ブロガーとして活動しています。

趣味

  • ゴルフ – メキシコに駐在し始めてから本格的に始動。ベストスコアは89。ここぞというときのミスショットが目立つ。
  • スペイン語 – 今はもうレッスンは受けていないけどネットや本で勉強中。2022年2月2日にSIELE受験。700点でした。
  • DIY – 古くなった実家の部屋をDIYでリノベ中。身の回り品も結構DIYしていたり。
  • 家庭菜園 – 20年近くぶりに。キャベツやいちご、スナップエンドウやサニーレタスを育ててる。そこそこ広い土地があるので、今後はより規模を大きくしていこうと画策中。

これからやっていこうかと思っていること

  • 翻訳業 – せっかく身に付いてきたスペイン語スキルを活かして翻訳とかやってみたい。メキシコの文化とかを日本に紹介して、メキシコにもっといいイメージを持ってもらいたい。
  • キャリアコーチ – 大手企業での勤務、海外駐在、現地法人での現地採用、フリーランスと様々な経験をしてきたので、その経験を活かしてキャリアコーチとしても活動していきたい。

家族

 広島にいるばあちゃん、両親、兄と、名古屋にいる姉、一緒に暮らしているチワワ♀(Camila)、ポメラニアン♂(Roy)